Tsukumo cosplayer modelling for “Café de chat noir” - Japan - 2018
Source Twitter 99tkmo
Tsukumo cosplayer modelling for “Café de chat noir” - Japan - 2018
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(Source: twitter.com)
私の場合…
それでも、セックスは週に1、2回はある。
前提として、、
そういったことは全く思っていない。
ではなぜ私が夫とセックスをするというかというと、楽しい共同作業のように考えているからだ。
(もちろん、妻が夫に性的サービスをすべきであるとも考えていない)
夫の肩を揉んだり、愚痴を聞いたり、二人で部屋の掃除をしたり、趣味の話をし合ったり、気の利いた酒のつまみを作ったりすることの延長線上のように考えている。
もちろん私にそれができるのは、夫がいつも私を大切にしてくれているからだ、という前提があるが。
同棲しはじめて3年を迎える頃には、すでにお互いに「強く欲情する」という感覚はなくなっていた。
はじめはそれを少しさみしく思ったが、
お互いに風呂上がりはすっぽんぽんで、「今日はやる?」「うーん、疲れたからいいや」というような会話をしている二人だから仕方がないだろう、と思った。
夫が、AVで自己処理していることも知っていたし、夫も別にそれを隠すこともなかった。
しかし、裸で抱き合い、肌のぬくもりを感じあい、お互いに充足させ合うという作業は私にとってはとても大切で、無くしたくない日常のひとつだった。
私は徐々に、自分が女性として欲情されなければならない、だとか、欲情されてこそ夫のオンナとして価値があるのだ、とか、欲情されるというフェーズがなければセックスは行えない、とか、そういった考えを捨てていった。
そしてもちろん、自分が夫に欲情しなければならないという考え(これは私にはそもそもあまりなかったが)も捨てた。
ムードというものは、なければならないものではなく、あったら嬉しい、というくらいのものにした。
私にとっては性的絶頂感は重要なものではなく、抱き合うだけでも満足なのだが、夫は男性ということも有り、射精の快感も大切だろうと思い、そのための手技も磨いた。
自分の技を磨いて夫を気持ちよくさせる、というのは、私にとっては喜ばしいことだった。
子どもや夫の好みの食事を作れるようになることと、感覚的には同じだ。
夫もそれに対して喜びを表現してくれるし、夫も呼応するように、私を充足させるよう動いてくれることもある。
その気持ちが嬉しくて、身体的にも精神的にも満たされる(性的絶頂や挿入を絶対要件としなくても)。
また、子どもがいる家庭の夫婦としては「お互いがお互いのためだけを思って何かする」時間というのが貴重でもあるから、尚更、楽しい。
子どもやお互いの両親やお金のことは置いておいて、お互いの身体や気持ちだけに耳を澄ませて喜ばせ合おうとする時間はかけがえのないものだ。
セックスは、欲情し合う二人が行うことである、と言う前提が在るから、
肉親のようになってしまった相手(に、欲情するのは恥ずかしいorには欲情できない)とはセックスできない、となるのかもしれない。
確かに、お互いに欲情しあって燃え上がるような気持ちで行うセックスは素晴らしいと思う。
しかし、完全に心許せる相手同士で、お互いに何もかも委ね合って行う穏やかなセックスも良いものだ。
まだ同棲をはじめて間もないころ、私はぎっくり腰とインフルエンザのダブルパンチで布団から動けなくなったことがある。
すっぴんでお風呂にも入れず、頭皮や身体からは汗の臭いが漂って、不潔で、本当に恥ずかしい姿だった。
その時、夫は、身体を蒸しタオルで拭いてくれ、着替えさせてくれ、心が休まるように、手のひらをマッサージしてくれた。
恥ずかしいけれど、心が満たされる…不潔な自分の身体を相手に委ねることによる様々な負の感情よりも、なにか解き放たれたような暖かい気持ちの方を強く感じた。
その時のような気持ちを、セックスすることで、感じることができる、今でも(もちろん毎回ではないけれどw)。
欲情されない自分の身体は恥ずべきものじゃないし、もし恥ずかしくたって、その身体をまるごと相手に委ねることは、ときには、欲情されることとはまた別の、暖かい快感を与えてくれるよ。
(終)
(Source: anond.hatelabo.jp)